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の葉にかきて、かの局にさしおかせける。
「津の國のあしの下ねのいかなればなみにしをれてみだれがち〈ほイ〉なる」。
かへし、
「津の國のあしのしたねのみだれわびこゝろも浪にうきてふるかな」。
五月五日所々より御かぶとの花、くす玉などいろいろに多くまゐれり。朝餉にて人々これかれひきまさぐりなどするに、三條大納言公親の奉れる根に、露おきたる蓬の中に、ふかきといふ文字を結びたる、絲のさまもなよびかに、いと艷ありて見ゆるを、うへも御目とゞめて「何とまれいへかし」とのたまふを、人々もおよすげて見奉るを、辨內侍、
「あやめ草そこゑらぬまのながき根を深きこゝろにいかゞくらべむ」。
又その頃天王寺に院のまうでさせ給ふついでに、住吉へも御幸あり。「神はうれし」と後三條院仰せられけむためし、思ひ出でられ侍りき。大宮院も御まゐりなれば、出車どもいろいろの袖口ども、春秋の花紅葉を一度にならべて見る心ちして、いとうつくしく目も耀くばかりいどみつくされたり。上達部若き殿上人などは、例のかりあを、すそごの袴など、めづらしき姿どもを心々にうちまぜたりつる、殿の〈 うちまぜたり。つり殿のイ〉簀子に人々さぶらひてあまた聞えしかど、さのみはいかでか。太政大臣〈さねうぢ〉、
「今日や又さらに千とせをちぎるらむむかしにかへるすみよしの松」。
さても院の第一の御子は、右中辨平のむねのりのぬしのむすめ、四條の院に兵衞內侍とて侍