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もしろき事ども數しらず。網代にひをのよるもさながらのゝしりあかしてかへらせ給ふ。鳥羽殿も近頃はいたう荒れて、池も水草がちにうもれたりつるを、いみじうしゆりし磨かせ給ひて、はじめて御幸なりし時、池邊松といふ事講ぜられしに、おほきおとゞ序書き給へりき。夫鳥羽仙洞二五累聖、離宮一百餘載とかや。また御身のいみじき事には、「蓬の髮霜寒くて七代に傳へたり」と侍りしこそめでたけれ。

  「いはひおくはじめとけふを松が枝の千とせのかげにすめる池水」。

院の御製、

  「かげうつす松にも千世の色見えてけふすみそむるやどのいけ水」。

大納言典侍と聞えしは、爲家の民部卿のむすめなりしにや、

  「色かへぬときはの松のかげそへて千代に八千代にすめる池みづ」。

ずんながるめりしかど、例のうるさければなむ。御前の御遊はじまるほど、そりはしのもとに龍頭鷁首よせていとおもしろく吹き合せたり。かやうの事常の御遊いとしげかりき。またおほきおとゞの津の國吹田の山庄にもいとしばしばおはしまさせて樣々の御遊かずをつくし、いかにせむともてはやし申さる。川に臨める家なれば、秋深き月のさかりなどは殊に艷ありて、門田の稻の風に靡くけしき、妻とふ鹿の聲、衣うつきぬたの音、峯の秋風、野邊の松蟲、とりあつめあはれそひたる所のさまに、鵜飼などおろさせて、篝火どもともしたる川のおもて、いとめづらしうをかしと御覽ず。日比おはしまして、人々に十首の歌召されしつい