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の御手本奉らるとて、おとゞ

  「傳へきくひじりの代々のあとをみてふるきをうつす道ならはなむ」。

御返事、御製、

  「しらざりしむかしに今や復りなむかしこき代々のあとならひなば」。

中宮も位去り給ひて大宮女院とぞきこゆる。安らかに常はひとつ御車などにて、たゞ人のやうに華やかなる事どものみひまなく、よろづあらまほしき御ありさまなり。院のうへ石淸水の社にまうでさせ給ひて日ごろおはしませば、世の人殘りなく仕うまつれり。さるべき事とはいひながら猶いみじう御心にも一とせの事思しいでられて、ことにかしこまり聞えさせ給ふべし。御歌あまたあそばして寶殿にこめさせ給ひし中に、

  「いはし水木がくれた〈なイ〉りしいにしへを思ひいづればすむこゝろかな」。

寶治の頃神無月二十日あまりなりしにや紅葉御覽じに宇治にみゆきしたまふ。上達部殿上人思ひ思ひいろいろの狩衣、菊紅葉の濃きうすき縫物、織物、綾錦、すべて世になき淸らをつくしさわぐ。いみじきけんぶつなり。殿上人の船に樂器を設けたり。橘の小島に御船さしとめて物のねども吹きたてたる程、水の底も耳たてぬべくそゞろ寒きほどなるに、折知りがほに空さへうちしぐれて、まきの山風あらましきに、木の葉どものいろいろ散りまがふけしきいひしらずおもしろし。女房の船にいろいろの袖口わざとなくこぼれいでたる、夕日にがゞやきあひて錦をあらふ九の江かと見えたり。平等院に中一日わたらせ給ひて、さまざまいお