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ど、粟田殿も宣旨かうぶり給へりしばかりにて七日にてうせ給ひにしかば、天下執行し給ふに及ばず。松殿の御子もろいへのおとゞ夢のやうにて、しかも一代にてやみ給ひにき。いづれも御末まではおはせざりしに、この三所の御後のみ今に絕えず、御流久しき藤なみにて立ちさかえ給へるこそたぐひなきやんごとなさなめれ。末の世にもありがたくや侍らむ。今の攝政殿をば後には圓明寺殿とぞ聞ゆめりし。一條殿の御家のはじめなり。攝政にて二とせばかりおはしき。女院の御父も太政大臣になり給ひて牛車ゆりたまふ。さるべき事といひながらいとめでたし。その頃北山の花のさかりに院に奏したまふ、その花につけて、

  「くちはつる老木にさける花ざくら身によそへても今日はかざゝむ」。

御かへしを忘れたるこそくちをしけれ。かくて御即位御禊も過ぎぬ。大甞會の頃信實朝臣といひし歌よみのむすめの少將內侍、大內の女工所にさぶらふに、雪いみじう日ごろ降りていかめしう積りたるあかつき、おほきおとゞ〈實氏〉のたまひつかはしける、

  「こゝのへのおほうち山のいかならむかぎりもしらずつもる雪かな」。

御かへし、少將の內侍、

  「こゝのへのうちのゝ雪に跡つけてはるかに千代のみちを見るかな」。

後嵯峨の院のうへはいつしか所々に御幸しげう御あそびなどめでたく今めかしきさまに好ませ給ふ。西園寺に始めて御幸なりしさまこそいとめづらかなるけんぶつにて侍りしか。おほきおとゞ御あるじ申されしさまいかめしかりき。いはずとも思ひやるべし。御贈物に代々