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爲敎、忠繼、資時、顯方、維嗣、公爲、資平朝臣、信通など我劣らじと、華族も下﨟も心ばかりはいどみつくしたり。申の時にまづ下の宮に行幸、暮れはてゝ上の社にまうでさせ給ふ。賞行はれなどして還御は明方にぞなりにける。霜いと白きにたてあかしけざやかにて、舞人の袖かへる程もいとおもしろくぞ侍りける。この行幸過ぎぬれば天の下のさわぎ少しのどまりぬべきにやと見えつるに、明くる日〈十二月六日〉又仁和寺御室准后、觀音寺にて灌頂し給ふとて世の中のゝしるさまいとけしからぬまで響きあひたり。この御室をば代々親王こそ傳へ給ふめれど、峯殿世を御心に任せたりし頃より渡り給ひて、母うへの西園寺入道殿の御むすめに准后をさへ讓り給ふとか聞えて、いとゆゝしき御人がらなれば、受法の儀式までぞ世に珍らかなりける。入道殿下まづ渡り給ひて、佛母院におはす。關白殿〈よしざね〉は御このかみなればましておはします。右大臣殿〈つねざね〉左大將〈たゞいへ〉心ことにて參り給ふ。時なりて大阿闍梨二品法親王〈道深〉輿にてわたり給ふ。喜多院の南の門より上達部殿上人步み續きてそこら參りつどふ。吉田中納言〈爲經〉二條の中納言〈たゞたか〉、侍從宰相〈すけすゑ〉、藤宰相〈のぶもり〉、左宰相中將〈さねたふ〉、左大辨〈つねみつ〉、新宰相定嗣、皆列をひき、受者もみぎりにおりたち給へる、いとわかううつくしうて地藏菩薩に似たまへるを、入道殿いと悲しと見たてまつりたまふ。紫の袈裟に香爐もちてわたり給へば、もとよりならび立てる上達部皆禮をいたすけしきやんごとなく見ゆ。關白左大將殿などの御隨身どもえもいはずきらめきてはしのもとにたてあかししろくしてなみ居たるけしきめでたくおもしろし。傳法〈供イ〉のさまは人見ぬ事なればしらず。敎授は良惠僧正つとめられけり。かくて事