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社の神馬ところどころの御誦經の使、四位五位數をつくして鞭をあぐるさま、いはずともおしはかるべし。おとゞとりわき春日の社へ拜して御馬宮の御ぞなどたてまつらる。うちには更衣ばらに若宮二所おはしませど、この御事を侍ちきこえ給ふとて坊定り給はぬほどなり。たとひたひらかにおはしますとも、もし女みや〈御子イ〉ならばとまがまがしきあらましは、かねておもふだに胸つぶれて口をし。かつは我が御身のしゆくせ見ゆべききはぞかしとおぼして、おとゞもいみじう念じたまふに、ひつじのくだりほどにすでにことなりぬ。宮の御せうと公相の大納言「皇子御誕生ぞや」といとあざやかにのたまふを、聞くひとびとの心ち夜の明けたらむやうなり。父おとゞ「まことか」とのたまふまゝによろこびの御淚ぞ落ちぬる。あはれなる御けしきと見たてまつる人もこといみしあへず。公相、公基、實雄、大納言三人、權大夫實藤、大宮中納言公持皆御ゆかりの殿ばらうへのきぬにてさぶらひ給ふ。みしほどもやがて結願すべしとて僧ども法師ばらまでしたり顏に汗おしのごひつゝいそがしげにありくさへぞめでたき。月なみの御神事なるうへ、今日ひついて心やましき事とかやにてわざと奏し給はねど。御驗者櫻井の宮の僧正號〈覺仁法親王〉をはじめ奉りて、つぎつぎ皆祿たまふ。ほつ親王には宮の御ぞ大夫とりて奉り給ひ、字治のさきの僧正には公基の大納言、房意法印には權大夫公持かづけ給ふ。御馬はおのおの本坊に送られけり。又の日月なみの祭はてゝ御はかしまゐる。勅使隆郞〈良イ〉なりき。十二日三夜の儀式大宮の御沙汰にていとめでたし。やがて御湯殿の事あれば、つるうち五位十人六位十人ならびたつ。御文の博士光兼朝臣、右衞門權佐すけさだ、大