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のやのおとゞ〈兼經〉攝政にていませしかば、そのまゝに今の御代の始も關白と聞えつれど、三月廿五日左のおとゞ〈よしざね。二條殿の御家のはじめなり。〉にわたりぬ。この殿も光明峯寺殿の御二郞君なり。神無月になりぬれば御禊とて世の中ひしめきたつも思ひよりし事かはとめでたし。大甞會の悠紀方の御屛風三神山、菅宰相爲長つかうまつられける。

  「いにしへに名をのみきゝてもとめけむ三神の山はこれぞその山」。

主基方風俗のうた、經光の中納言にめされたり。

  「すゑとほき千世のかげこそ久しけれまだ二葉なるいはさきの松」。

當代かくめでたくおはしませば、通宗宰相も左大臣從一位を贈られたまふ。御むすめも后の位を贈り申されしいとめでたしや。まことやこの頃右大臣と聞ゆるは實氏のおとゞよ。その御むすめ十八になり給ふを女御に立てまつり給ふ。六月三日入內あり。儀式ありさま二なく淸らをつくされたり。母北の方は四條大納言隆衡のむすめなり。女御の君いとさゝやかにあいぎやうづきてめでたくものし給へば、御おぼえいとかひがひしく、よろづうちあひ思ふさまなる世のけしき飽かぬ事なし。おなじ年八月九日后に立ちたまふ。そのほどのめでたさいへばさらなり。源大納言の家にむほん親王にてあやしう心ぼそげなりし御程には、たはぶれにも思ひより聞え給はざりけむと、めでたきにつけても人の口やすからず、さはとかくきこゆべし。

     第五 內野の雪