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けるとぞ。いまだ御つぎもおはしまさず、又御はらからの宮なども渡らせ給はねば、世の中いかになりゆかむずるにかとたどりあへるさまなり。さてしもやはにてあづまへぞ吿げやりける。將軍は大殿の御子。今は大納言殿ときこゆ。御後見は承久に上りたりし泰時朝臣なり。時房と一所にて小弓射させ酒もりなどして心とけたるほどなりけるに、「京よりのはしり馬」といへば、何事ならむとおどろきながら、使召しよせて聞くにいとあさまし。さりとてあるべきならねば、そのむしろよりやがて神事はじめて、若宮の社にてくじをぞとりける。その程都にはいとうかびたる事ども心のひきひきいひしろふ。佐渡院の宮だちにやなど聞えければ、修明門院にも御心ときめきして內々その御用意などしたまふ。承明門院ももしやなどさまざま御いのりし給ふ。あづまの使都に入るよしきこゆる〈聞えけるイ〉日は兩女院より白川に人を立て、いづかたへか參ると見せられけるぞことわりに、げに今見ゆべき事なれども、物の心もとなきはさおぼゆるわざぞかし」」と例の口すげみてほゝゑむ。「「日ぐらし待たれて、城介よしかげといふもの三條河原にうちいでゝ、「承明門院のおはしますなる院はいづくぞ」と、かの院より立てられたる靑侍のいとあやしげなるにしも問ひければ、聞く心ちうつゝともおぼえず、「しかじか」と申すまゝに土御門殿へまゐりたれど、門は葎つよくかため扉もさびつき、柱根くちてあかざりけるを郞等どもにとかくせさせて內に參りて見まはせば、庭には草深く靑き苔のみむして松風より外はこたふるものもなく、人の通へる跡もなし。故通宗宰相中將の御おとゝを子にし給へりし、定通のおとゞばかりぞ、何となくおのづからの事