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を、この程御門おりさせ給ふべきよし聞ゆればにや、いと疾く十月二日奏せられける。一とせのうちに奏せられたるいとありがたくこそ。新勅撰ときこゆ。「元久に新古今いできてのち、程なく世の中もひきかへぬるに、又新の字うちつゞきたる心よからぬ事」など、さゞめく人も侍りけるとかや。さて同じき四日おり居させ給ふ。御惱み重きによりてなりけり。こぞの二月后の宮の御腹に一の御子いでき給へりしかば、やがて太子にたゝせ給ひしぞかし。例の人の口さがなさは、「かの承久の廢帝の生れさせ給ふとひとしく坊に居給へりしはいと不用なりしを」などいふめり。うへはおりさせ給ひて、その七日やがて尊〈院イ〉號あり。御惱み猶をこたらず。大かた世もしづかならず、この三年ばかりは天變しきりなゐふりなどして、さとし繁く、御つゝしみおもきやうなればいかゞおはしまさむと御心どもさわぐべし。今上は二歲にぞならせ給ふ。あさましき程の御いはけなさにて、いつくしき十善のあるじに定り給ふ事いとゆゝしきまでさきの世ゆかしき御ありさまなり。むかし近衞院三歲、六條院二歲にて位に即き給へりし、いづれもいと心ゆかぬためしなり。閑院殿の淸凉殿にてまづ御袴奉る。十二月五日御即位はことなくはてぬれば、めでたくて年かはりぬ。中宮も御ものゝけになやませ給ひて常はあつしうおはしますを院はいとゞはれまなくおぼしなげく。う月の頃年號あらたまる。天福といふなるべし。そのおなじ頃中宮も位去り給ひて藻壁門院とぞきこゆなる。今年も又例ならずなやませ給へば、めでたき御事の數そはせ給ふべきにこそと世の中めでたくきこゆ。祭祓なにくれとおびたゞしくまだきよりのゝしる。ましてその程近くなりて