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山の座主、三井寺のちやうり、山階寺の別當、仁和寺の御むろ、皆この殿のきんだちにておはすれば、すべて天下はさながらまじる人すくなう見えたり。いとよそほしくおもおもしげにて、內の御とのゐ所などに常はうちとけさぶらひ給へば、關白殿次々の御子どもゝ大臣などにて、立ちかはり御前に絕えずものし給ひて世のまつり事など聞えたまふ。北の方は公經のおとゞの御むすめなれば、まして世の重くなびき奉るさまいとやんごとなし。まことやその年十一月十一日阿波の院かくれさせ給ひぬ。いとあはれにはかなき御事かな。例ならずおぼされければ御ぐしおろさせ給ひにけり。こゝら物をのみおぼして今年は三十七にぞならせたまひける。今一度みやこをも御覽ぜずなりぬるいみじうかなしきを、隱岐の小島にもきこしめしなげく。承明門院はさまざまのうき事を見つくして、猶ながらふる命のうとましきに、又かくおなじ世をだに去り給ひぬる御歎のいはむかたなさに、などさきだゝぬと口惜しうおぼしこがるゝさま、ことわりにも過ぎたり。かしこにて召しつかひける御調度、何くれはかなき御手箱やうのものを都へ人のまゐらせたりける中に、たまさかに通ひける隱岐よりの御文、女院の御せうそこなどをひとつにとりしたゝめられたる、いみじうあはれにて御目もきりふたがる心ちしたまふ。家隆の二位のむすめ小宰相と聞えしは、おのづからけぢかく御覽じなれけるにや、人よりことに思ひしづみて御服などくろくそめける。

  「うしと見しありしわかれは藤ごろもやがてきるべきかどでなりけり」。

今年もはかなく暮れて貞永元年になりぬ。定家中納言うけたまはりて撰集の沙汰ありつる