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せめて近きほどにとあづまより奏したりければ、後には阿波の國にうつらせ給ひにき。さてもこのたび世のありさま、げにいとうたて口惜しきわざなり。あるは父の王をうしなふためしだに一萬八千人までありけりとこそ佛も說き給ひためれ。まして世くだりてのち、もろこしにも日の本にも國を爭ひてたゝかひをなす事數へ盡すべからず。それも皆一ふし二ふしのよせはありけむ。もしはすぢことなる大臣、さらでもおほやけともなるべききざみの、少しのたがひめに世にへだゝりて、そのうらみのすゑなどより事起るなりけり。今のやうにむげの民とあらそひて君のほろび給へるためし、この國にはいとあまたも聞えざめり。されば承平の將門、天慶の純友、康和の義親いづれも皆猛かりけれど宣旨にはかたざりき。保元に崇德院の世をみだり給ひしだに、故院〈後白河〉の御位にてうち勝ち給ひしかば、天てる御神もみもすそ川のおなじ流と申しながら、猶時のみかどをまもり給はする事は强きなめりとぞ、ふるき人々もきこえし。又信賴の衞門督、おほけなく二條の院をおびやかし奉りしも遂に空しきかばねをぞ道のほとりに捨てられける。かゝればふりにし事を思ふにも、なほさりともいかでか上皇今上あまたおはします王城のいたづらに亡ぶるやうやはあらむとたのもしくこそおぼえしに、かくいとあやなきわざの出で來ぬるは、この世ひとつの事にもあらざらめども、迷ひのおろかなるまへにはなほいとあやしかりし。四つにて位に即き給ひて十五年おはしましき。おり給ひてのちも土佐院十二年、佐渡院十一年、猶天の下にはおなじ事なりしかば、すべて三十八年が程この國のあるじとして、萬機のまつり事を御心ひとつにをさめ、も