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責一人にといふらむ事にやとあぢきなし。中院はあかで位をすべし〈りイ〉給ひしより、言に出でゝこそものし給はねど、世のいと心やましきまゝに、かやうの御さわぎにもことにまじらひ給はざめり。新院はおなじ御こゝろにて、よろづ軍の事などもおきて仰せられけり。いつの年よりも五月雨はれまなくて、富士川天龍などえもいはずみなぎりさわぎて、いかなる龍馬もうちわたしがたければ攻めのぼる武者どもゝあやしくなやめり。かゝれども遂に都に近づくよしきこゆれば、君の御武者もいでたつ。その勢六萬餘騎とかや。宇治勢多へわかちつかはす。世の中ひゞきのゝしるさま、言の葉も及ばずまねびがたし。あるは深き山へ逃げこもり遠き世界におちくだり、すべて安げなくさわぎみちたり。いかゞあらむと君も御心亂れておぼしまどふ。かねては猛く見えし人々もまことのきはになりぬれば、いと心あわたゞしく色を失ひたるさまどもたのもしげなし。六月二十日あまりにや、いくばくのたゝかひだになくて、遂にみかたのいくさ破れぬ。あらいそにたかしほなどのさしくるやうにて泰時と時房とみだれ入りぬればいはむ方なくあきれて上下たゞものにぞあたりまどふ。あづまよりいひおこするまゝに、かの二人の大將軍はからひおきてつゝ、保元のためしにや「院の上、都のほかにうつし奉るべし」と聞ゆれば、女院宮々ところどころにおぼし惑ふ事さらなり。本院は隱岐の國におはしますべければ、まづ鳥羽殿へ網代車のあやしげなるにて、七月六日入らせ給ふ。今日をかぎりの御ありき、あさましう哀なり。ものにもがなやとおぼさるゝもかひなし。その日やがて御ぐしおろす。御年よそぢに一つ二つや餘らせ給ふらむ。まだいとほし