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せられたまひしに、いづれもめでたくさまざまなるなかに、懷舊の御歌に、

  「秋の色をおくりむかへて雲のうへになれにし月もものわすれすな」

とある所に、定家の君驚きかしこまりて、うらがきに、あさましくはかられ奉りける事などしるして、

  「あかざりし月もさこそは思ふらめふかきなみだもわすられぬよを」

と奏せられたり。院もえんありて御覽ずべし。げにいかゞ御心動かずしもおはしまさむとその世の事かたじけなくなむ。今もすこし世の中隔たれるさまにてのみおはしますこそ、いといとほしき御ありさまなめれとぞ。

     第二 新島もり

猛きものゝふのおこりを尋ぬれば、いにしへ田村などいひけむ將軍どもの事は、耳遠ければさしおきぬ。そのかみより今まで源平の二つながれは〈ぞイ〉時により折に隨ひて大やけの御守りとはなりにける。桓武天皇と聞えし御門をば柏原の御門とも申しけり。その御子に式部卿の御子と聞えしより五代の末に、平將軍貞盛といふ人、維衡維時とて二人の子をもたりけり。間近く榮えし西八條の淸盛のおとゞはかの太郞維衡より六代の末なりき。その一つ門亡びしかば、この頃は僅にあるかなきかにぞさま〈まかイ〉よふめる。さてかの維時が名殘はひたすらに民となりて、平四郞時政といふもののみぞ伊豆の國北條の郡とかやにあめる。それも維時には六代の末なるべし。又源氏武者といふも淸和の御門或は宇多の院などの御後どもなり。二