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とぶらひにおはしたりしをも、みちのかうみやうとこそ世繼には書きて侍れ。近き頃は西行法師ぞ北面のものにて、世にいみじき歌のひじりなめりしか。今の代の秀能は、ほとほとふるきにも立ちまさりてや侍らむ。この度の御歌合、大方いづれとなくうち見わ〈イ無〉たして、すぐれたるかぎりをえり出でさせ給ひしかば、おのおのむらむらにぞ侍りたりける。吉水の僧正圓慈ときこえし、又たぐひなき歌のひじりにていましき。それだに四首ぞ入りたまひにける。さのみは事長ければもらしぬ。この僧正、世にもいとおもく、山の座主にてものし給ふ事も年久しかりし。その程にやんごとなきかうみやう數知らずおはせしかば、崇められ給ふさまも二なくものし給ひしかど、猶飽かずおぼす事やありけむ、院に奉られける長歌、

  「さてもいかに わしのみ山の つきのかげ 鶴のはやしに

   いりしより へにける年を かぞふれば 二千とせをも

   過ぎはてゝ のちの五つの もゝとせに なりにけるこそ

   かなしけれ あはれ御法の 水のあわの 消えゆく頃に

   なりぬれば 其にこゝろを すましてぞ わがやま河に

   しづみゆく 心あらそふ のりの師は 我もわれもと

   あをやぎの いと所せく みだれきて 花ももみぢも

   散りゆけば 木ずゑ跡なき みやまべの 道にまよひて

   すぎながら 獨りこゝろを とゞむるも かひも渚の