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盡しつゝ御心ゆくさまにて過させ給ふ。まことによろづ世もつきすまじき御世のさかえ、次々今よりいとたのもしげにぞ見えさせ給ふ。御碁うたせ給ふついでに若き殿上人ども召して、これかれ心のひきびきにいどみ爭はせ給へば、あるは小弓雙六などいふ事まで思ひ思ひに勝ちまけをさうどきあへるも、いとをかしう御覽じて、さまざまの興あるのり物どもとうでさせ給ふとて、なにがしの中將を御使にて修明門院の御かたへ「何にてもをのこどもに賜はせぬべからむのりもの」と申させ給ひたるに、とりあへず小き唐櫃のかなものしたるが、いとおもらかなるを參らせられたる。この御つかひのうへ人、何ならむといといぶかしくて、片端ほのあけて見るに錢なり。いと心えずなりて、さとおもてうちあかみて、あさましと思へるけしきしるきを院御らんじおこせて「朝臣こそむげに口惜しくはありけれ。かばかりの事知らぬやうやはある。いにしへより殿上ののり弓といふ事にはこれをこそかけものにはせしか。されば今かけものと聞えたるに、これをしもいだされたるなむ、いにしへの事知り給へるこそいたきわざなれ」とほゝゑみてのたまふに、さは惡しく思ひけりとこゝちさわぎておぼゆべし。大かたこの院のうへはよろづの事にいたりふかく、御心もはなやかに、物に委しうなどぞおはしましける。夏の頃水無瀨殿の釣殿にいでさせ給ひて、ひ水めして水飯やうのものなど若き上達部殿上人どもにたまはさせて、おほみきまゐるついでにも、「あはれいにしへの紫式部こそはいみじくはありけれ、かの源氏物語にも近き川のあゆ、西川より奉れるいしぶしやうのもの、御まへにて調じてとかけるなむすぐれてめでたきぞとよ。唯今さ