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院の御時も仕うまつられたりし資實の中納言に、この度も悠紀かたの御屛風のうためさるながら山、

  「すがのねのながらの山のみねの松吹きくる風もよろづ代のこゑ」。

かやうの事は皆人のしろしめしたらむ。ことあたらしく聞えなすこそおいのひが事ならめ。この御代にはいとけちえんなる事おほくところどころの行幸しげくこのましきさまなり。建保二年春日の社に行幸ありしこそ、ありがたき程いどみつくしおもしろうも侍りけれ。さてそのまたの年、御百首の御〈二字イ無〉歌よませ給ひけるに、こぞの事おぼしいでゝ、內の御製、

  「かすが山こぞのやよひの花の香にそめしこゝろは神ぞしるらむ」。

御心ばへは新院よりも少しかどめいて、あざやかにぞおはしましける。御ざえもやまともろこしかねて、いとやんごとなくものし給ふ。朝夕の御いとなみは、和歌の道にてぞ侍りける。末の世に八雲などいふもの作らせたまへるもこの御門の御事なり。攝政殿の姬君まゐり給ひて、いと華やかにめでたし。この御腹に建保二〈六イ〉年十月十日一の御子生れ給へり。いよいよものあひたる心ちして世の中ゆすりみちたり。十一月廿一日やがてみこになし奉り給ひて、おなじき廿六日坊に居給ふ。いまだ御いかだにきこしめさぬに、いちはやき御もてなしめづらかなり。心もとなくおぼされければなるべし。今一しほ世の中めでたく定りはてぬるさまなめり。新院はいでやとおぼさるらむかし。かくて院のうへは、ともすれば水無瀨殿にのみ渡らせ給ひて、琴笛の音につけ、花もみぢのをりをりにふれて、よろづのあそびわざをのみ