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もやくなくものたまふかなと聞き給ふ。一條院位に即かせ給へば又女御后に立たせ給ひて內に入り給ふに、この大納言殿のすけに仕うまつり給ふに、出車より扇をさし出して「やゝ物申さむ」と女房のきこえければ「何事にか」とてうちより給へるに、進の內侍顏をさし出して「御妹のすばらの后はいづくにかおはする」ときこえかけたりけるに、先年の事を思ひおかれたるなりけり。みづからだにいかにと覺えつる事なれば道理なり。「なくなりぬる身にこそとこそ覺えしか」とのたまひけれ。されど人がらよろづによくなり給ひぬれば、事にふれて捨てられ給はず、かの內侍のとがなるにてやみにき。一とせ入道殿大井川の逍遙せさせ給ひしに、作文の船、管弦の船、和歌の船と分たせ給ひて、その道にたへなる人々をのせさせ給ひしに、この大納言殿の參り給へるを、入道殿、「かの大納言いづれの船にか乘らるべき」とのたまはすれば「和歌の船にのり侍らむ」とのたまひてよみたまへるぞかし。

  「をぐら山あらしの風のさむければもみぢのにしききぬ人ぞなき」。

申しうけ給へるかひありてあそばしたりな。御みづからものたまふなるは「作文の船にぞ乘るべかりける。さてかばかりの詩を作りたらましかば名のあがらむこともまさりなまし。口をしかりけるわざかな。さても殿いづれにとか思ふとのたまはせしなむ、我ながら心おごりせられし」とのたまふなる。ひと事のすぐるゝだにあるに、ましてかくいづれの道もぬけ出でたまひけむはいにしへも侍らぬことなり。三條のおとゞ永祚元年六月廿六日にうせ給ひて贈正一位になりたまふ。廉義公とぞ申しける。このおとゞの御末かくなり。