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時には、人丸がよのあはねばひとつ世にはあらざるべし。

  「たつ田川紅葉みだれて流るめりわたらばにしき中や絕えなむ」

とよませ給へるは、人丸があひ奉れる御代の御歌なるべきにやあらむ。古今序に、「たつた川にながるゝ紅葉は、帝の御目には錦と見え、吉野山の櫻は、人丸が目には雲かとぞおぼえける」とあれば、後のみかどの御製とは、聞こえざるべし。

  「ふるさとゝ成りにしならの都にも色はかはらず花ぞ咲きける」

とよませ侍りけるは、大同の御製なるべし。昔の奈良のみかどならば、ふるさとゝよませ給ふべからず。この御歌は、ならのみかどの御歌とて、古今の春の下に入れ奉れり。もみぢの錦の御歌は、秋の下に、「よみ人しらず、ある人ならのみかどの御歌なり」となむ侍るも、少しのかはるしるしなきにもあらず。しかあるのみにあらず、もし同じみかどゝ申すはおぼつかなき所多く、もしあらぬ御時ならば、同じ御名にてまがはせ給ひぬべき上に、目錄どもにも、

  「はぎの露玉にぬかむととれはけぬよし見む人は枝ながら見よ」

といふ御歌も、よみ人しらず。ある人ならのみかどの御歌なりといふを加へて、三首おなじ御時なるやうに見ゆるは、目錄のあやまれるにやあらむ。おぼつかなき事、よく思ひ定めつべからむ人に尋ね申させ給ふべき事なるべし」」といふに、「「それは忽に定めえがたく侍るなり。又このついでに尋ね申さむ」」とて「「萬葉集は憶良が撰べるといふ人あるは、しか侍りけるにや」」と問へば、「「いかでか。さやうのことは、その時の人にも侍らず、その道にもあらぬ身