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  「親のおやぞいまはゆかしき郭公はや鶯のこは子なりけり」

とよめりける。萬葉集の長歌に鶯のかひこの中のほとゝぎすなどいひて、このことに侍るなるを、いと興あることにも侍るなるかな。藏人實兼ときこえし人の、匡房の中納言の物語にかける文にも、中ごろの人この事見あらはしたることなどかきて侍るとかや。かやうにこそ傳へ聞くことにて侍るを、まぢかく、かゝる事にて侍らむこそいとやさしく侍るなれ。右京權の大夫賴政といひて歌よめる人の、さることありと聞きて、わざとたづねきて、その鳥の籠に結びつけられ侍りけるうた、

  「鶯の子になりにける時鳥いづれのねにかなかむとすらむ」。

萬葉集には父に似てもなかず母にゝてもなかずと侍るなれば、うぐひすとはなかずや有りけむなど、いとやさしくこそ申すめかりしか。

     奈良の御代

此の中の人の、おぼつかなき事ついでに申さむ」」とて、「「萬葉集は、いづれの御時つくられ侍りけるぞ」」と問ひしかば、「「古今に、

  神無月しぐれふりおけるならの葉のなにおふ宮のふることぞこれ」

といふ歌侍り」」といひし。「「古今序に、「かのおほん時おほきみつの位、柿の本の人丸なむ歌のひじりなりける」とあるに、かの人丸はかの御時よりも昔の歌よみと見ゆるを、萬葉集つくれる時より古今えらばれたる時まで、年はもゝとせあまり世は十つぎとあれば、とつぎとい