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ゝをりけるに、白波の舟こぎよせければ、その時用光篳篥とり出だして、うらみたる聲にえならず吹きすましたりければ、白波どもおのおの悲しびの心おこりて、かづけものをさへして漕ぎはなれて去りにけりとなむ。さほどのことわりもなきものゝふさへ、なさけかくばかり吹き聞かせけむもあり難く、又昔の白波は、なほかゝるなさけなむありける。

いとやさしく聞え侍りしことは、いづれの御時にか侍りけむ、中頃のきさき上東門院、陽明門院などにやおはしけむ。近き世の帝の御時、珍らしく內にいらせ給へりける時、月のあかく侍りける夜、「むかしはかやうに侍る夜は、殿上人あそびなどこそ內わたりはしはべりしか。さやうなることも侍らぬこそくちをしく」など申させ給ひければ、いとはづかしくおぼしめしける程に、月の夜めでたきに、「凛々として氷しき」といふうた、いと華やかなる聲して謠ひけるが、なべてなく聞こえけるに、又いといたくしみたる聲のたふときにて、無量義經の「微渧まづおちて」などいふところをうちいでゝ讀まれ侍りけるがいづれもいづれもとりどりにめでたく聞こえければ「昔もかばかりのことこそえきゝ侍らざりしか。いと優なるものどもこそ侍りけれ」と申させ給ひけるにこそ、御汗もかわかせ給ひて御心もひろごらせたまひにけれときゝ侍りし。後冷泉の院の御時、上東門院などいらせ給へりけるにや、又その人々は伊家の辨、敦家の中將などにやおはしけむとぞ人は申し侍りし。ひがことにや。

又能因法師、月あかく侍りける夜、いたゐにむかひて、庇のふき板、所々とりのけさせて、月やどして見侍りけるに、門たゝく音し侍りければ、女ごゑにてとひ侍りけるに、うちより勅