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     かしこきみちみち

常陸介實宗と聞こえし人くすしに尋ぬべきことありて、雅忠が許にゆけりけるに、しばしとて障子のつらに据ゑたりけるにまらうど饗ようしけるあひだに、門より入りくる病ひ人を、かねで顏けしきを見て、「これはその病を問ひに來る者なり」といひて、たづぬれは誠にしかありけり。其のなかに見苦しきこともあり、をかしきこともありてえいひやらねば、皆心えたりなどいひて、つくろふべきやうなどいひつゝあへしらへやりけるに、まらうどは有行なりけり。家あるじ盃とりたるを、「とく其のみきめせ。唯今ゆゝしきなゐの振らむずればうちこぼしてむず」といふに、さしもやはとや思ひけむ、いそがぬ程になゐおびたゞしく振りて、はたとひとしき酒をうちこぼしてけり。あさましき事ども聞きたりとぞ語りける。

中頃笙の笛の師にて、市佑時光と聞こえしが、いづれの御時にか、內より召しけるにおなじやうに老いたる者とふたり手うちて、歌うたふ樣によりあはせておほかた聞きもいれず、御返りも申さゞりければ、御使あざけりて歸りまゐりてかくなむ侍るとうれへ申しければ、いましめはなくて仰せられけるは、「いとあはれなる事かな。唱歌しすまして、よろづ忘れたるにこそあなれ。みかどの位こそくちをしけれ。さるめでたきことを往きてもえ聞かぬ」とぞのたまはせける。用光といひし篳篥の師と、ふたり裹頭樂をさう歌にしけるとぞ後にきこえける。その用光が相撲の使に西の國へ下りけるに、きびの國のほどにてや、沖つ白波たちきて、こゝにて命も絕えぬべく見えければ、かりぎぬ、かぶり、うるはしくして、屋形のうへに出で