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又少納言統理と聞えし人、年ごろも世をそむく心やありけむ。月の隈なく侍りけるに、心をすまして山深くたづね入らむ心ざしのせちに催しければ、まづ家に「ゆする設けよ。出でむ」といひて、かしら洗ひて梳りほしなどしけるを、めなりける女も心得てさめざめと泣きをりけれど、かたみにとかくいふことはなくて、あくる日うるはしき裝ひして、一の人の御もとに詣でゝ、山里にまかり籠るべきよしのいとま申しけれど、人も申しつがざりけるをしひ申しければ聞き給ひて、「少納言こなたへ」とて出であひ給ひて、御數珠たびて、「後の世は賴むぞ」など侍りければ、數珠をばをさめて拜したてまつりて、增賀ひじりの室にいたりて、かしらおろしたりけれど、勤め行こふ事もなくてもの思ひたる姿なりければ、ひじりさる心にてはしたなく侍りければ、「生み侍るべき月にあたりたる女の侍ることの思ひ捨て侍れど、いぶせく思ひたまへて」などいふを、ひじり都にいそぎ出でゝ、その家におはしたりければ、え生みやらでなやみけるを、ひじり祈り給ひて生ませなどして、人にまめなるものなどこひたまひて、車につみてうぶやしなひまでし給ひけり。その統理に三條の院より歌の御かへし給はりける。

  「忘られず思ひ出でつゝやま人をしか戀しくぞわれもながむる」

と侍りけるに、淚のごひはべりければ、「東宮より歌たまはりたらむは、佛にやはなるべき」とひじり耻ぢしめ給ひけるとかや。たてまつりたる歌もあはれにきこえ侍りき。

  「きみに人なれなならひそ奧山にいりての後もわびしかりける」