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て、えならぬ駒の足ときに乘りて、逢坂のせきをこゆる景色なり」とぞ申しける。さて宮、「そこはいかゞ」とおほせられければ、「既に檳榔毛にのり侍りにたり」とぞ申しはべりけるとなむ。

彼の齊信の藤民部卿、鷹司殿の屛風の詩選びたてまつられけるに、日野の三位の詩多くいりたりけるを、義忠といひし贈宰相の難じて「色の絲ことばつゞりて、春風に任せたり」といへる、絲といふ文字平聲にあらず。ひがごとなりと申すときゝて、民部卿、文集の詩の句の、「うるはしきことばゝ、色の絲をつゞれり」と云へるを考へて奉られたりければ、宇治のおほきおとゞ、むづからせ給ひて、「いかにかゝるひが難をば申しけるぞ」とて勘當せさせ給ひて、あくる年まで免させ給はざりければ、義忠の三位、女房につけて奉りける、

  「靑柳の色のいとにや結びてしうれへはとけで春ぞくれぬる」

とぞきゝ侍りし。よればほどけでとかけるもあり。いづれか誠にて侍らむ。

むかしの御つぼねの親にておはせし越後守の縣召に淡路になりていとからくおぼして、女房につけて奏し給ひけるふみに、「苦學の寒夜に紅淚襟をうるほし、除目の春朝蒼天まなこにあり」と書き給へりけるを、一條の御門御覽じて、夜のおとゞに入らせ給ひて、ひきかづきて臥させ給ひけるを、御堂殿參らせ給ひて「いかにかくは」と問はせ給ひければ、女房の、爲時が奉りて侍りつる文を御覽じて御とのごもらせ給へるよし申されければ、「いとふびんなる事かな」とて、國盛といひしを召して、「越前になしたびたるを返し奉るよしの文かきてた