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のおとゞの御子のなきなげきをし給ひて、我が御をひの〈大納言のことも。今の殿の中將あきつねのおほち。〉資平の宰相を養ひ給ふめり。〈顯實宰相のおほち〉又末に宮づかへ人をおぼしけるはらにいでおはしたるをのこゞは、法師にて內供良圓の君とておはす。又さぶらひける女房を召しつかひ給ひける程に、おのづから生れ給へりける女君、かぐや姬とぞ申しける。この女は賴定の宰相のめのと子、北の方は花山院の女御、爲平の式部卿の御むすめ。院背かせたまひて、この女御、殿にさぶらひ給ひしなり。この女君千日の講行ひたまふ。資家中納言のうへのはらなり。兼賴の中納言の北の方にてうせ給ひにき。大かた子かたくおはしけるぞうにや。これも中宮の權大夫のうへもまゝ子をやしなひ給へる。小野の宮のしん殿の東面に〈今の中宮權大夫のうへは、かくやひめのことなり。〉帳ゆかたてゝいみじうかしづきすゑ奉り、いかなる人か御聟となり給はむとすらむ。かの殿いみじきこもりとく人におはします。故小野宮のそこばくの寳の庄園は皆この殿にこそはあらめ。殿づくりせられたるさまいとめでたしや。對、寢殿、渡殿は例の事なり。たつみの方に三間四面の御堂建てられて、めぐり廊は皆供僧の坊にせられたり。湯屋におほきなる鼎二つぬりすゑられて烟絕えぬる日なし。御堂には金色の佛多くおはします。供米三十石定器ことにおかれて絕ゆる事なし。世の中に御堂にまゐる道には御前の池よりあなたを遙々と野に作らしめ給ひて、時々の花もみぢをうゑさせ給へり。又船にのりて池より漕ぎてもまゐる。これよりほかに道なし。住僧はやんごとなき智者、或は持經者、眞言師などゝもになむ。これに夏冬の法服をたまひ供料をあて給ふ。我が滅罪生善の御いのり、又姬君の御息災を祈らしめ給ふ。この小野の宮