Page:Kokubun taikan 07.pdf/489

提供:Wikisource
このページは校正済みです

らぬつまなるべし。御おほぢの一院も聞かせ給ひて迎へとり給ひて、女院の御方に養ひ申させ給ふ。やうやううちの御めのとごの、播磨守伯耆守などいふ人ども、彼のさとや、局などの女房などかみ下のことども、取りさたすべきよしうけ給はりて仕うまつり、若宮の御めのと刑部卿などいひて、大貳の御めのとのをとこと聞ゆ。みこも親王の宣旨などかぶり給ひて御元服などせさせ給ひぬ。かくて年月すぐさせ給ふ程に位さらせ給ひて、新院とておはしますにも、世に類ひなくて過ぐさせ給へば、きさいの宮、殿の御わたりには心よからず、疎きことにてのみおはします。本院の御まゝなれば世を心にまかせさせ給はず。うち、中宮、殿などに、ひとつにて、世の中すさまじき事多くておはしますべし。かやうなるにつけてもわたくしものにおもほしつゝ過ぐさせ給ふに、法皇かくれさせ給ひぬる後、世の中に事ども出できて讃岐へ遠くおはしましにしかば、やがて御船に具し奉りてかの國に年歷給ひき。一の御子も御ぐしおろし給ひて、仁和寺大僧正寬曉と申しゝにつかせ給ひて、眞言などならはせ給ひけるに、敏くめでたくおはしましければ、昔の眞如親王もかくやと見えさせたまひけるに、御足のやまひおもくならせ給ひて、ひとゝせうせさせ給ひにけり。御とし廿二三ばかりにやなり給ひけむ。讃岐にも御なげきのあまりにや、御惱みつもりてかしこにてかくれさせ給ひにしかば、宮の御はゝものぼり給ひて、かしらおろして、醍醐のみかどの御母方の御寺のわたりにぞ住み給ふなる。かの院の御にほひなればことわりと申しながら、歌などこそいとらうありてよみ給ふなれ。のぼり給ひたりけるに、ある人のとぶらひ申したりければ、