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でたまひける道にて、

  「定めなきうき世の中としりぬればいづくも旅の心ちこそすれ」

とよみたまへりけるとぞ。橫河の覺超僧都の、「よろづのことを夢とみるかな」といふ歌思ひ出でられて、あはれにきこえ侍る御歌なり。又仁和寺に花藏院の宮とてもおはしましき。それは異御はらなるべし。御母は大宮の右のおとゞの御子に、なでしこの宰相とかきこえ給ひしむすめとぞ。六條殿とかきこえ給ひて、のちには九條の民部卿におはしけるとかや。此の宮はいみじくたふとき人ときこえ給ひき。長尾の宮とも申しき。又三井寺の大僧正行慶と聞こえたまひしもおはしき。備中守政長と聞こえし人のむすめのはらにおはす。これも眞言よく習ひ給へるなるべし。この院もこの僧正にぞ行ひのこと受けさせ給ふときこえし、法性寺のおとゞ御ぐしおろしたまひて、御戒の師にし給ふときこえき。こまの僧正とも申すなるべし。天王寺へ詣でたまひけるに難波をすぎ給ふとて、

  「夕ぐれに浪花わたりを見渡せばたゞうす墨のあしでなりけり」

となむきこえし。こと所のゆふべの望みよりもなにはのあしでと見えむ、げにときこえはべり。歸る雁のうすゞみ夕暮のあしでになりたるもやさしくきこえ侍り。又若御前法眼ときこえ給へりしも、白河の院の御子にやおはしけむ。みちのおくのかみ有宗といひしがむすめの腹におはすとぞ。堀河のみかどの宮たちは、山に法印など聞えたまひし、後には座主になりて、親王の宣旨かぶり給ひて、座主の宮ときこえき。伊勢の守時經とて傅の大納言の末と聞