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の四位の色にて、たゞ人の四位と王五位とはくろあけを着、たゞ人の五位あけの衣にてうるはしくあるべきを、今の人心およすげて、四位は王の衣になり五位は四位のころもを着るなるべし。檢非違使上官などはうるはしくてなほあけをあらためざるべしとぞ侍りける。佛の道に入りたまへるは此の頃うちつゞかせ給へり。仁和寺に覺行法親王と聞えたまひしは、白河の院のみこにおはす。御ぐしおろさせ給ひて、やうやうおとなに成らせ給ふ程に、いとかひがひしくおはしければ、さらに親王の宣旨かぶり給ふとぞ聞え侍りし。おほ御室とておはしましゝは、三條の院の御子師明親王ときこえ給ひし、まだちごにおはしまして、御子の御名えたまひければ、法師の後は親王の宣旨かぶり給はず。その宮につけ奉りたまひしに、御弟子の宮はわらはにて親王の御名をえたまはねば親王の宣旨かぶり給へり。後二條のおとゞ出家ののちは例なきよし侍りけれども、白河の院、「內親王といふこともあれば、法親王もなどかなからむ」とて、はじめて法師の後親王ときこえ給ひしなり。かくて後ぞ、うちつゞきいづくにも出家の後の親王ときこえ給ふめる。そのおとうとにて覺法々親王ときこえたまひしは、六條の右のおとゞの御むすめの生み奉り給へりし、法性寺のおとゞのひとつ御はらからにおはす。さきに申し侍りぬ。みかどの御子關白など、一つはらにおはします。いとかたきことなるべし。この御室は、おほきに聲淸らかなる人にぞおはしける。眞言の道よくならひ給ひ、又手かきにてもおはしけり。御堂の色紙形などかき給ふときこえ給ひき。高野の大師の手かきにおはしければにや、御室たちもうちつゞき手かきにぞおはすなる。高野へまう