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あまた聞こえ給ひき。后ばらの宮たちは皆申し侍りぬ。ちりぢりにうち續きおはします多くきこえ給ふ。白河の院のきさきばらの女宮みところの外に、承香殿の女御の生みたてまつり給ひしは、伊勢のいつきにおはしき。それは女四宮なるべし。女五宮も天仁元年霜月のころ、みうらにあひたまひて齋宮ときこえ給ひき。御はらはいづれにかおはしけむ、ひがことにや侍らむ。季實とか聞えしむすめにやおはしけむ。せがゐの齋宮と申しゝも、同じ比立ち給ふと聞こえき。それは賴綱ときこえし、源氏の三河守なりしが女のはらにおはすと聞こえき。七十にあまり給ひてまだおはすと聞こえ給ひき。唐崎のみそぎ、上西門院せさせ給ひし比、そのつゞきに、院の御さたにて殿上人など奉らせ給ひけり。とのもりのかみ何大夫とか名ありし人、御後見にて御車のしりに、綾の指貫、院のおろして着てわたるなど聞こえき。男は此の世には多く佛の道に入りたまひて、御元服もかたくて、うへの御ぞの色などもたづねえ侍らぬ折々もはべるとかや。位おはしまさぬほどは、淺黃と日記に侍るなるをば、靑き色か黃なるか、なほおぼつかなくて、花園のおほいどのにたづね奉られけるも、をさなくておぼえ給はぬよし申したまふなど聞こえし。一の宮の御元服のは黃なるを奉りけるなるべし。位まだえさせ給はねば黃なる衣ぞ誠にもおはしますらむ。無位の人は黃袍なるべければ、小野の篁が隱岐より歸りて、作りたる詩にも、「請ふ君菊を愛せばわれをみるべし。白きことはかうべにあり。黃なることは衣にあり」などぞきこえ侍りし。神の社の黃狩衣なども、位なきうへのきぬの心なるべし。かやうのついでにある人の申されけるは、つるばみのころもは王