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く、うちとけたるはかひなくなむ見ゆる。衣紋の雜色などいひて、藏人になれりしもこの御家の人なり。上の御せうとの君だち、若殿上人ども絕えず參りつゝ、遊びあはれたるはさることにて、百大夫と世にはつけて、かげぼしなどの如くあさ夕馴れ仕うまつる。吹きもの、引きものせぬは少くて、外より參らねどうちの人にて御遊び絕ゆることなく、伊賀の大夫、六條の大夫などいふすぐれたる人どもあり。歌よみ、詩つくりも、かやうの人ども數しらず。越後のめのと、小大進などいひて、名高き女歌よみ、家の女房にてあるに、公達まゐりては、くさり連歌などいふことつねにせらるゝに、三條の內のおとゞの、まだ四位の少將などの程にや、
「ふきぞわづらふしづのさゝやを」
とし給ひたりけるに、中務の少輔實重といふもの、常にかやうのことにめし出ださるゝ者にて、
「月はもれ時雨は止れと思ふには」
とつけたりければ「いとよくつけたり」などかんじあひ給ひける。又ある時、
「奈良のみやこをおもひこそやれ」
とはべりけるに、大將殿、
「やへ櫻秋のもみぢやいかならむ」
とつけさせ給ひけるに、越後のめのと、