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りける。まだつかさなども聞こえ給はざりし程は、常に法皇の御車のしりにぞのり給ひて、みゆきなどにもおはしける。さやうの御つゞきをおぼし出だしけるにや、院の御忌のほど參り給ひて有りける時、南おもての方にひとりおはして、さめざめと泣き給ひて、御手して淚をふりすてつゝおはしける、ものゝはざまよりのぞきてあはれなりしと人の語り侍りし。實能のおとゞは北の方のせうとにおはして、朝夕なれあそびきこえ給ひければ、左兵衞の督など申しけるほどにや、五月五日大將殿、

  「あやめ草ねたくも君がとはぬかなけふは心にかゝれと思ふに」

など心やりたまへるも、いとなつかしく。この大將殿は、殊の外に衣紋をぞ好み給ひて、上のきぬなどのながさ短さなどの程など、こまかにしたゝめ給ひて、その道にすぐれたまへりける。大方むかしはかやうのこともしらで、指貫もなかふみて、烏帽子もこはく塗ることもなかりけるなるべし。此の頃こそ、さびえぼうし、きらめき烏帽子など、をりをりかはりて侍るめれ。白河の院は、御裝束まゐる人などおのづから引きつくろひなどし參らせければ、さいなみ給ひけるときこえ侍りし。いかに變はりたる世にかあらむ。鳥羽の院、この花園のおとゞ、おほかたも御みめとりどりに、姿もえもいはずおはします上に、こまかにさたせさせて、世のさがになりて、肩あて腰あて、烏帽子とゞめ、かぶりとゞめなどせぬ人なし。又せでも叶ふべき樣もなし。かうぶり烏帽子のしりは雲を穿ちたればさらずは落ちぬべきなるべし。時に從へばにや此の世に見るには、袖のかゝり袴のきはなどつくろひたてたるはつきづきし