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し十七とや申しけむ、始めて源氏の御姓たまはりて御名は有仁と聞こえき。やがてその日、三位の中將になり給ひて、そのとしの十二月のころ、中納言になり給ひて、やがて中納言の中將と聞こえき。むかしのみかどの御子、一の人の公達などおはすれど、かく四位五位なども聞こえ給はで、はじめて三位の中將になり給ふ、年のうちに中納言の中將などはいとありがたくや侍らむ。又その次の年、保安元年にや侍りけむ、大納言になり給ひて、年をならべて右近の大將かけたまひき。世の人、宮の大將など申して、みゆき見る人はこれをなむ見ものにしあへることに侍りし。白河の花見の御幸とて侍りし和歌の序は、この大將殿かきたまへりけるをば、世こぞりてほめきこえ侍りき、

  「低枝折リテサゝゲモタレバ、紅蠟ノ色手ニミテリ。落花ヲフミテ佇立スレバ、紫麝ノ氣衣ニ薰ズ」

などかき給へりける。その人のしたまへることゝおぼえて、なつかしう優に侍りけるとぞ。御歌もおぼえ侍る。

  「かげきよき花のかゞみと見ゆるかなのどかにすめる白川の水」

とぞきゝ侍りし。管絃はいづれもし給ひけるに、御びは笙のふえぞ御あそびにはきこえ給ひし。すぐれておはしけるなるべし。御手もよくかき給ひて、色紙形、てらでらの額などかきたまへりき。中納言になり給ひし折にや、三の御子かくれ給ひしに、法皇の御子とて御服などもし給はざりけるとかや。又うすくてやおはしけむ。院うせさせ給ひしにぞ色こく染め給へ