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久しく行ひ給ひて、後は大藏卿と申しき。その御おとうとは師親の四位の侍從など申しておはしき。又大納言の御子には、仁和寺の大僧正寬遍と申すおはしき。備中守まさなかの女の腹にやおはしけむ。高松の院の中宮とて、御ぐしおろさせ給ひし、戒の師におはしけり。東寺の長者にて近くうせ給ひにけり。中宮の大夫の御弟廣綱とて坐しき。四位までやのぼり給ひけむ、攝津守など申しゝにや。また堀河殿などの同じはらにやおはしけむ、仁覺大僧正と申しゝ山の座主おはしき。それは中宮の大夫の兄にやおはしけむ。又ことはらにやましなでらの實覺僧都など申しておはしき。莊嚴院の僧都と申しゝなるべし。


今鏡第八

    みこたち

     源氏のみやすどころ

みかどの御おほぢにはおはせねど、東宮や宮たちの御母におはせしは、後三條の院の女御にて、侍從の宰相基平の御女こそおはせしか。その宰相は小一條の院の御子におはしき。その源氏の御息所、御名は基子女御とぞ申しゝ。その御せうとにては春宮の大夫季宗、大藏卿行宗など申しておはしき。みな三位のくらゐにぞおはせし。大藏卿は八十ばかりまでおはせしかば、近くまで聞え給ひき。歌よみにおはしき。ふたりながらからの文なども作り給ふとぞ