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心のあてなるあまりに、物の數もこまかに知り給はざりけるにや、をさめ殿する侍ひ人のもとに「きぬせさせにやれ」とありければ、「二つが料にはふた匹なむ遣しつる」と申しければ、「一つをこそ二匹にてはすれ」とのたまひて、驚き給ひけるに、內匠のすけなにがしといふに問ひ給ひければ、同じさまに申しけるにこそ、「さはえ知らざりけるにこそ」と折れ給ひけれ。これをいへ人、語りあひけるをきゝて、兼延といふ近衞舍人は、「いづれの國の絹とかを、こまかにきりなどせさせ給ふ所もおはしますものを」などいひける、いと耻かしくこそ。このおほいまうちぎみ、おこりごゝちわづらひ給ひげるに、白河の院より平等院の僧正をつかはして、祈らせ給ひけるに、をこたりたる布施に馬をひき給ひける、大方いひしらぬ惡馬になむ侍りければ、院きこしめして、「われこそ布施も得べけれ」と盛重といひしを遣はして仰せられければ、院にありがたきもの參らせむとて、武藏の大德隆賴がつくりたる、小弓のゆづかの、しもひとひねりしたるを取りいでゝ、漆のきらめきたるさして、すりまはして、錦のゆづかとりすてゝ、みちのくに紙してひき卷きて、錦の袋にも入れず、唯みちのくに紙につゝみて、たてまつられたりければ、「いと珍らしきものなり」とたちかへり仰せられけるとぞきゝ侍りし。

     にひまくら

このおとゞの御子は、大納言顯通と申して、父おとゞよりもさきにうせ給ひにき。其の御子は今の內大臣雅通の大將と申すなるべし。此の大將の御母は、よしとしの治部卿のむすめに