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侍所の御神樂の拍子とりなどし給ひけるも、ほそき御聲いとをかしくぞ侍りける。むねとは詩作り給ふ事を好みて、中將など聞こえ給ひし時、北野の、人の夢に「久しくこそ詩など講ずる人なけれ」とのたまはすとて「野徑只靑草」とかいふ詩、博士學生などあまた詣でゝ講じけるに、年二十にすこし餘り給へる、わかき殿上人のみめかたちいとをかしくて、上の御ぞなどなよらかに着なし給へるに、細太刀平緖などしなやかにてまじり給へる、神もいかゞ御覽ずらむとぞおぼえける。次第に朗詠し給へりける中に、花やかなる御聲して、「羅綺の重衣たる」とうち出でたまへりける。年老いたる人など淚をさへながして、むしろこぞりてめで思へり。また讃岐のみかど位におはしましける時、きさいの宮の御方にて管絃する殿上人ども召してよもすがら遊ばせ給ひけるに大殿もおはしまして「朗詠つかまつれ」と仰せられけるに、このおとゞの中將など申しける時に、「大公望か周文にあへる」と出だし給へりけるこそ〈如元〉御聲もうつくしう、みかど一の人の事にて、其のよしあることの、いうに聞こえ侍りける。藏人の頭より宰相になり給ひしに、中將をぞ、もとのことなればかけ給ふべかりしに、道を歷むとにや、右大辨になり給へりき。いと身にもおひ給はずなど思ふ人もありけるに、侍從になりそへ給ひて、太刀はきたまへるなど、心のまゝにおはせしさま、事につけてあらまほしくおはしき。藏人の頭におはせし時も、殿上の一寸物し日記の辛櫃に、日每に日記かきていれなどして、ふるきことを興さむとし給ふとぞきこえ給ひし。

     宮城野