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となしくて、公事などもよく勤め給ふ。世のさたなどもよくおはせしを、世の人の樣に、あながちなる追從もし給はずなどおはしければにや、家などは叶ひ給はでぞ有りける。藏人の頭檢非違使の別當などし給ひしも、いとよくおはしけり。左大將など申すほど、鳥羽院の御うしろみ、院の內とりさたし給ひしかども、われと國ひとつも知り給はず、賢人にぞおはすめりし。てゝの太政のおとゞよりも、さきにうせ給ひにし、大方おとなしきやうにふるまひて、藏人の頭になり給へりしに、弟におはせし公行の、辨にはじめてなりて、厚額のかぶりになし給ひければ、われも今は厚額にせむとて、同じやうにして、內に參り給へるに、成通宰相の中將にはじめてなりて、しばしは透額の冠にてとやおぼしけむ、內に參り給ひて、頭の中將のかぶりを見給ひて、額に扇さしかくしてまかりいで給ひて、やがて厚額になりておはしけり。成通の御心ばへは、世のさたをばいたくも好み給はで、公事などは識者におはせしかど、世のまめなることは取りいられぬ御心にや。藏人の頭も、檢非違使の別當も歷給はず、侍從大納言などいひて過ぎ給ひにき。公敎のおほい殿は、三條の內大臣とも高倉のおとゞとも申すなるべし。三條のおとゞは能長のおとゞを申しゝかば、いひかふるなるべし。高倉のおとゞの姬君、淸隆の中納言のむすめのはらにおはする、院の女御にたてまつり給へり。今梅壺の女御と申すなるべし。御名こそいとやさしく聞こえ侍れ。その弟の姬君は、父おとゞうせ給ひてのち、おほぢのおほきおとゞ、さたし給ひて、今の攝政殿、右のおとゞなど聞こえさせ給ひし時まゐりたまひて、北の政所とぞきこえ給ふ。男公達は、同じ御はらにおはする、大納言