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公尋ねに夜をこめておはしたりければ、女房ぐるまの雜色一人具したる、さきに立てりけるに、ほとゝぎすは啼かでやうやう明けゆく程に、水雞のたゝきければ女の車より、
「いかにせむ待たぬ水雞はたゝくなり」
といひおくり侍りければ、
「山ほとゝぎすかゝらましかば」
とつけて返したまひにけり。女は誰にかありけむ。ゆりばなにやとぞうけ給りし。いかにやさしく侍りけることかな。此の世には、さやうのことあり難くぞあるべき。よみ給へる歌おほかる中に、いとやさしくきこえ侍りし、
「思ひ出づやありし其のよの吳竹のあさましかりしふし所かな」
とよみ給へるこそ、いづくにかいばみ給ひけるにか侍りけむ。からうすの音して當來の導師などや拜みけむとさへ思ひやられ侍る。そのおほい君は經實の大納言のうへ、そのつぎは花園の左のおとゞの北の方、三の君は、待賢門院におはします。つぎざまにまさり給へることを「まろが姉あらましかば、それなどいひて、たきゞおへる賤のをに具する人にやあらまし」などのたまはせけると聞えし。さしものたまはぬことを、人のいはせ侍るにも有りけむ。またさやうのことは戯れたまはむ、さも侍りけむ。皆此の御母光子の二位の御はらなり。春宮大夫の太郞にては侍從中納言實隆と申しておはしき。その御はゝ美濃守基貞の御女なり。この中納言人がらはよくおはしけるにや。院に和歌の會せさせ給ひけるに、歌人にまじりて歌