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むとて御門と御心合せさせ給へりけるとぞ。この左大臣物のをかしさぞえねんぜさせ給はざりける。笑ひたゝせ給ひぬれば、すこぶる事も亂れけるが、北野に世をまつりごたせ給ふ間、非道なる事仰せられければ、さすがにやんごとなくてせちにし給ふことをばいかゞはとおぼして、「このおとゞのし給ふことなればふびんなりと見れど、いかゞすべからむ」と歎き給ひけるを、なにがしの史が「事にも侍らず。おのれがかまへにてかの御事をとゞめ侍らむ」と申しければ、「いとあるまじきこと、いかにしてかはなむ」とのたまはさせけるを、「只御覽ぜよ」とて座に着きて、事きびしく定めのゝしり給ふに、この史、ふんばさみに文はさみて、いらなくふるまひて、このおとゞに奉るとて、いと高やかにならして侍りけるに、おとゞ文もえとらずしてわなゝきてやがて笑ひて、「今日はすぢなし。右のおとゞにまかせ申す」とだにいひやりたまはざりければ、それにこそ菅原のおとゞの心のまゝにまつりごち給ひけれ。又北野の神にならせ給ひていと恐ろしく神なりひらめき淸凉殿に落ちかゝりぬと見えけるに、本院のおとゞ太刀を拔きさげて、「生きても我が次にこそものしたまひしか。今日神となり給ふとも、この世には我に所おき給ふべし。いかでかさらではあるべきぞ」と睨みやりてのたまひけるに、一度はしづまらせ給へりけるとぞ世の人申し侍りし。されどそれはかのおとゞのいみじくおはするにはあらず、王威のかぎりなくおはしますによりて、理非をしめさせ給へるなり。