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しく、餘りすぐれて、人に似ぬ事などのけにや有りけむ。「いはもる淸水いくむすびしつ」などよみ給へるぞかし。九十ばかりまでおはしき。七の翁にも入り給へりけるとぞきこえ侍りし。山の座主寬慶ときこえしも、大宮のおとゞの御子とぞきこえし。大乘坊とかや申しけむ。

     旅寐のとこ

末の子にやおはしけむ。大納言宗通の民部卿と申しゝこそ、大宮どのゝ御子には、むねと時めき給ひしか。末も廣く榮え給へり。白河の院の御おぼえの人におはしき。あこまろの大納言とぞ聞こえ侍りし。歌をもをかしくよみ給ひけるにこそ。行尊僧正のよゐして、とこわすれ侍りけるを、つかはすとて、よみ給ふこそ、いとむかしの心ちして、

  「草枕さこそかりねのとこならめけさしもおきて歸るべしやは」。

返しは劣りたりけるにや。え聞き侍らざりき。その公達は、顯季の三位のむすめの腹に多くおはしき。信通宰相中將と申しゝ、笛の上手にておはしけり。是れは世の覺えおはすと聞こえ給ひき。白河の院の殿上人に武者の裝束せさせて御覽じけるに、滋目ゆひの水干きてやなぐひ負ひ給へりけるこそしなすぐれておはしけるにや。こと人はとも人の樣にて、此の君こそあるじなどいはむやうに、おはしけると人の申しゝ、ひがことにや。わらはやみして失せ給ひにけりとぞ聞き侍りし。いと人の死なぬやまひにこそ、つねはきゝ侍るに。大方は此の末の、御ものゝけこはくおはするにや。民部卿のうせ給ひけるほどにも「家正がありつるは、まだあるか」などのたまはせければ「さも侍らず。はかなくなりて年歷侍りにしものゝ、い