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は右大臣俊家のおとゞ、大宮の右のおとゞときこえ給ひき。この御末おほく榮えさせ給ふめり。その御子は宗俊の大納言、御母は宇治大納言隆國の女なり。管絃の道すぐれておはしける。時光といふ笙の笛ふきに習ひ給ひけるに、大食調の入調を、いまいまとて、年歷て敎へ申さゞりける程に雨かぎりなくふりて、くらやみしげかりける夜いできて「今宵かのもの敎へたてまつらむ」と申しければ、歡びて「とく」とのたまひけるを、「殿のうちにてはおのづから聞く人もはべらむ。大極殿へわたらせ給へ」といひければ、さらにうし〈こイ〉など取り寄せておはしけるに、「御供には人侍らでありなむ。時光ひとり」とて、簑笠きてなむ有りける。大極殿におはしたるに、「猶おぼつかなく侍り」とてつい松とりて更に火ともして見ければ、柱に簑きたる者の立ちそひたる有りけり。「かれは誰れぞ」と問ひければ「武能」となのりければ「さればこそ」とてその夜は敎へ申さで歸りにけりと申す人もありさ。又かばかり心ざし有りとて、敎へけりともきこえ侍りき。それはひがことにや侍りけむ。かの武能も其の道の上手なりけるに、誰れにかおはしけむ、一の人の「誰れに習ひたるぞ」と問はせ給ひければ、「道のものにもあらぬ法師とか、よく習ひたるものありけるになむ、傳へてはべる」など申しければ、「なほ時光が弟子になるべきなり」と仰せうけ給はりて、名簿かきてかれが家にいたりて「それがし參りたり」といはせければ、挑みて、「年頃かやうにも見えぬもの」とて驚きて呼びいれければ、時光ははなちでに、笛つくろひて居たりけるに、武能庭にゐてのぼらざりければ、袖のはたをひきて、のぼせて「いかに」と問ひければ、「殿のおほせにて、御弟子に參りたるな