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し、御母は、師俊の中納言の御むすめなり。その大將殿は、御みめこそいと淸らに餘りぞふとり給ひてやおはしましけむ。御心ばへもいとうつくしくおはしけり。つぎに中納言中將師長と申しゝは、みちのくの守信雅ときこえし、御うまごにやおはすらむ。その御弟は中將隆長と申しける。それも入道中納言の御はらなるべし。皆流され給ひて、うらうらにおはせしに、中納言中將殿は、歸りのぼり給ひて、大納言になり、大將などにおはすめり。身の御ざえなども幼くよりよき人にておはしますと、聞こえ給ひき。琵琶はすべて上手にておはしますとぞ聞こえ給ふ。都わかれて、土佐の國へおはしけるに、これもりとかやいふ陪從、御送りに參りける道にて、箏のことのえならぬ、調べ傳へ給ふとて、そのふみの奧に、歌よみ給へりけるこそあはれに悲しくうけ給はりしか。

  「をしへ置くかたみを深くしのばなむ身は靑海の波にながれぬ」

とかやぞきゝ侍りし。靑海はかの調べの心なるべし。いと悲しく、やさしく侍りけることかな。もろこしに、むかし嵇叔夜といひける人の、琴のすぐれたる調べを、この世ならぬ人に傳へ習ひて、ひとり知れりけるを、袁孝尼とかやいひけることひきの、あながちに習はむといひけれども、ないがしろに思ひて、ゆるさゞりける程に、罪をかうぶりける時、この調べの長く絕えぬることをこそ悲しみいたみけれ。此のことの調べを傳へ給ひけむことこそ、かしこく賴もしくも、うけ給はりしか。琵琶こそすぐれ給へりと聞こえ給へりしか。箏のことをも、かく極めさせ給ひて、御おほぢの跡をつがせ給ふ、いとやさしくこそうけ給はり侍れ。かく