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  「こひしさは慰むべくもあらざりき夢のうちにもゆめと見しかば」。

今一人の御息所は玄上宰相の女にや。其後朝の使に敦忠中納言、少將にてし給ひける。宮うせ給ひて後、この中納言にはあひ給へるを、限なく思ひながら、いかゞ見給ひけむ、文範の民部卿、播磨の守にて殿のけいしにて侍らはるゝを「我は命みじかきぞうなり。かならず死なむず。その後君はこの文範にぞあひ給はむずる」とのたまひけるを「あるまじきこと」といらへ給ひければ、「天がけりても見む。世にたがへ給はじ」などのたまひけるが、誠にさていまするぞかし。唯この君たちの御中には大納言源昇の卿御女の腹の顯忠のおとゞのみぞ右大臣までなり給へる。その位にて六年おはせしかど、少しおぼす所やありけむ、出でゝありき給ふにも家のうちにても大臣の作法をふるまひ給はず。御ありきのをりはおぼろげにて御さきつがひ給はず、まれまれもほのかにぞまゐりし。ごぜんつがひたまはず、僅に數すくなにてぞ侍ひし。御車ぞひ四人つがはせ給はざりき。又はんざふだらひにて御手すまさず、寢殿のひんがしのまに棚をして、小桶にちひさきひさげ具しておかれたれば、仕丁のつとめてごとに湯もて參りて入れければ人してもかけさせ給はず、我出でさせ給ひて御手づからぞすましける。御めしものはうるはしく、ごきなどにもまゐり、すべて只御かはらけにて臺などもなく、折敷にとりすゑつゝぞまゐらせける。儉約し給ひしもさるべきことの折の御座と御ばんどころとにぞ大臣とは見えたまひし。かくもてなし給ひしにや、このおとゞのみぞ御ぞうの中に六十餘までおはせし。四分一の家にて大饗し給へる人なり。富の小路の大臣と申