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八講など行はせ給ふ折ふしのことにつけて、經論の深きこと、ひろき心、汲み盡くさせ給はぬことなくなむおはしましける。御佛供養せさせたまひける御導師に、菊の枝にさして給はせける、

  「たぐひなき御法を菊の花なればつもれる罪は露も殘らじ」

などぞきこえ侍りし。御心ばへもすきずきしくのみおはしましながら、わづらはしくとりがたき御心にて、ひがひがしきことはおはしまさで、何事もおどろかぬやうにぞおはしましける。されば世にも似させ給はで、いづ方にも、踈きやうに、聞こえさせ給ひて、公達など心もとなく、聞こえさせ給ひしかども、世の中みだれ出できて後、元のやうに、氏の長者にも、かへりならせ給ひき。男公達も、位高くならせ給ひて、法師におはしますも、僧正ともならせ給ひ、ところどころの長吏もせさせ給へり。女御きさき、かたがたおはして、よろづあるべきこと、皆おはしましき。昔、時にあはせ給ひたる、一の人に劣らせ給ふ事なかりき。馬を失ひて、なげかざりけむ翁などのやうにておはしましゝけにや、苦しき世をすぐさせたまひてのちは、かく榮えさせ給へり。作らせ給ひたる御詩とて、人の申しゝは、

  「官祿身ニアマリテ世ヲテラストイヘドモ、素閑性ニウケテ權ヲアラソハズ」

とかや作らせ給へるも、その心なるべし。さやうの御心にや、又近衞のみかどの悲しびのあまりにや、關白にこのたびならせ給ひし始めに、彼のみかど、船岡にをさめたてまつりし御供せさせ給へり。かちよりおはしますさまにて、御輿の綱を長くなされたりしにや、日記に