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  「わたの原こぎいでゝ見ればひさかたの雲ゐにまがふおきつ白浪」

などよませ給へる御歌は、人丸が「島かくれゆく舟をしぞ思ふ」などよめるにも耻ぢずやあらむとぞ人は申し侍りし。

  「よし野山みねのさくらや咲きぬらむふもとの里に匂ふはるかぜ」

などよませ給へるも、心も詞もたへにして、金玉集などに、選びのせられたる歌のつらになむ聞こえ侍るなる。からのふみ作らせ給ふこともかくぞありける。さればふみの心ばへしらせ給ふこと深くなむおはしける。白河の院にも三卷の詩えらびて奉り給ひ、基俊の君にも、からやまとのをかしきことの葉どもをぞえらびつかはさせ給ひける。かやうの事ども多くなむ侍るなる。又つくらせ給へるからの詞ども、御集とて、唐の白氏の文集などの如くに、事好む人、もてあそぶとぞうけ給はる。かくざえもおはしまして、日記なども鏡をかけておはしませば、右大辨爲隆といひし宰相は「日本はゆゝしくてつゞなる國かな。さきの關白を一の人にて、このおとゞ、花園のおとゞふたり、若き大臣よくつかへぬべきを、うちはへつゝ公事もつとめさせで、この殿一の人なれば、いたづらに足ひき入れてゐたまへるこそ惜しけれ」とぞいはれけるとなむ、きこえ侍りし。

     菊のつゆ

法門のかたは、底を極めさせ給ひて、山、三井寺、東大寺、山科寺など智惠ある僧綱、大とこども、內裏に御讀經など勤むる折に、御簾のうちにて、深き心たづね問はせ給ひ、わが殿にて、