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などにも、ひかせ給ふとぞ聞き侍りし。父おとゞばかりは、おはしまさずやありけむ、手かゝせ給ふ事は、昔の上手にも耻ぢずおはしましけり。まなも假名も、このもしく今めかしき方さへそひて、すぐれておはしましき。內裏の額ども、古きをばうつし、失せたるをば、更にかゝせ給ふとぞ、うけたまはりし。院宮の御堂御所などの色紙形は、いかばかりかは多くかゝせ給ひし。御願よりはじめて、寺々の額など數しらずかゝせ給ひき。「橫河の花臺院などは、古き所の額も、むかへ講すゝめけるひじりの申したるとてかゝせ給へり」とぞ山の僧は申しゝ。又人の仁和寺とかより、額申したりければ、かゝせ給ひける程に、奧のえびす基衡とか云ふが寺なりと聞かせ給ひて、みちの奧へ、取り返しに遣はしたりけるを、返し奉らじとしけるを、女の心かしこくやありけむ、「かへし奉らざらむは、しれごとなり」と諫めければ、返し奉りけるに、御厩舍人とか、つかはしたりける御使の、心やたけかりけむ、三つにうちわりてぞもてのぼりける。柱をにらみけむにも、劣らぬ使なるべし。えびすまでもなびき奉りけるにこそ。又いづれの御願とかの繪に、飯室の僧正たふとくおはすることかくとて、冷泉院の御太刀ぬかせ給へるに、僧正にげ給へるあとに、とゞまれる三衣筥のもとにて、みかどの物のけうたせ給ひたる所の色紙形、これはえかゝじとて、もじもかゝれでいまだ侍るなり。御手並びなくかゝせ給へども、さやうの御用意は、ありがたき事ぞかし。まだ幼くおはしましゝ時より、歌合など朝夕の御あそびにて、基俊俊賴などいふ、時の歌よみどもに、人の名かくして、判ぜさせなどせさせ給ふこと絕えざりけり。御うたなど多くきゝ侍りし中に、