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のみかど、かくれさせ給ひて、この一院位につかせ給ひしにも、又關白にならせ給ひしかば、四代のみかどの關白にて、ふたゝび攝政と申しき。昔もいと類ひなき事にこそ侍りけめ。おほきおとゞにも、ふたゝびなり給へりし。いとありがたく侍りき。藤氏の長者さまたげられ給ひしも、左のおとゞの、事にあひ給ひしかば、保元元年七月に、更にかへりならせ給ひにき。同三年八月十六日、二條のみかど位につかせたまひし時、いまのとのゝ御兄におはしましゝ、右のおほいまうちぎみに、關白ゆづり聞こえさせ給ひて、大殿とておはしましゝに、應保二年に御ぐしおろさせ給ひてき。御年六十六とぞうけ給はりし。長寬二年二月十九日、六十八と聞えさせ給ひし年かくれさせ給ひにき。昔まだ幼くおはしましゝ時、春日のまつりのつかひせさせたまひしに、ないし周防のごまゐりて、行事のべんのためたかに申しおくりける、

  「いかばかり神もうれしとみかさ山二葉の松の千代のけしきを」。

その返しは、劣りたりけるにや。きこえはべらざりき。祈り奉りたるしるしありて、めでたく久しくせさせ給ひき。法性寺の御堂の御所などつくりて、貞信公の御堂のかたはらに住ませたまひしかば、法性寺殿とぞ申すめる。昔より攝政關白つゞきておはしませど、身の御才は類ひなくおはしましき。才學もすぐれておはしましける上に、詩など作らせ給ふことは、いにしへの宮師殿などにも劣らせたまはずやおはしけむ。歌よませ給ふ事も、心たかく昔の跡をねがひ給ひたるさまなりけり。管絃のかた心にしめさせ給ひて、箏のことを、むねと御遊