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ても、御隨身はもとのやうにつがはせ給ひき。同三年正月なかのへの手車の宣旨ありき。康和三年正月廿九日、御ぐしおろさせ給ふ。二月十三日、宇治にて、うせさせ給ふ。御年六十におはしましき。大殿と申し、又後の宇治の入道殿とも、又京極殿とも申すなるべし。寬治八年高陽院にて歌合せさせ給ひし時の歌よみども、昔にも耻ぢぬ御あそびなるべし。筑前の御の、うすはなざくらの歌、匡房の中納言の、「白雲とみゆるにしるし」といふ歌にまけ侍りしを、殿より、

  「しら雲はたちかくせども〈へだつれどイ〉くれなゐのうす花櫻心にぞしむ」

と仰せられたりしかば、筑前の御の御返したてまつるに、

  「しら雲はさもたゝばたてくれなゐの今一しほを君しそむれば」

と申したりし、いとやさしくこそ侍りしか。御心ばへなどのなつかしく、おはしましけるにこそ。御物御覽ぜさせ給ひけるに、盛長淡路守といひしを、殊の外にはめさせ給ひけるほどに、信濃守行綱も、心には劣らず思ひて、羨ましく、ねたく思ひけるに、御足すまさせ給ひけるに、つみ奉るやうにたびたびしければ、「いかにかくは」と仰せられければ「鞠も見しらぬはぎの」といひつゝ、洗ひ參らするを、「行綱もよし」とぞ仰せられける。御かへりごとに、こそこそと撫で奉りける、もとのさるがうなれども、ものこちなきしうには、さもえまさじかしと覺えて。また盛長のぬし、花ざかりに、鞠もたせて、かゝりへまかりけるに、行綱さそひにやりたりければ、「御物忌にこもりて、人もなければ、けふはえ參らじ」と返事しけるをき