Page:Kokubun taikan 07.pdf/372

提供:Wikisource
このページは校正済みです

所の御厨子さぐりて、「しやくも置かれぬみづしかな。衣冠にておまへに參るものは、とりてこそ參ることにてあるに」とつぶやきければ、殿きかせ給ひて「かく常に耻ぢしめらるゝ」などぞ仰せられける。しやくは、束帶にてぞ持つ事にて侍るを、殿居裝束にも、事にしたがひ、人によるべきにや。檢非違使などは、常に持ち侍るめり。又高光とかきこえし人、誰れにあひ奉りたりけるとかや、車よりおりて、懷紙をたかくたゝみなして、笏になしてなむとれりけるとぞ、聞き侍りし。束帶にも、上達部はなちては、殿上には持ちてのぼり給はぬとかや。大宮の右のおとゞ、經輔の大納言、藏人の頭にていさかひ給ひける時、笏してうち給ひたりけるより、とゞめられ侍りとぞきゝ侍りし。御座のおほひ掛くなる棹は、とりはなちに侍りけるを、鳥羽の院の位の御時にや、殿上人のいさかひ給ひて、其の棹をぬきて打たむとし給ひけるより、うちつけられたるとなむ聞こえ侍る。もとなき事も、かゝるためしに始まれるなるべし。その御座と申すは御倚子とて、殿上のおくの座のかみに、たてられ侍るなり。紫檀にて作られて侍るなるを、むかし宇多の帝、まだ殿上人におはしまして、業平の中將とすまひとらせ給ひて、勾欄うち折らせ給ひけるを、代々さてのみ折れながらこそ侍るなるに、近き御世に筑紫の肥後守になれりける、何某とかやいふ人、藏人なりける時、紫檀のきれ、とのに申して、そのかうらんの折れたる、つくろはむなどせられけるこそ、をこの事に侍りけれ。かの能通のぬしの、しかありける末なればにや、通憲といひし少納言の大とこも、近くはいみじくこそ、世の中したゝむめりしか。このおとゞ右衞門の督など申しけるほどにや、白川に、