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「「筑紫におはします所の御門もかためておはします。大貳の居所ははるかなれども、樓の上のかはらなどの心にもあらず御覽じやられけるに、又いと近く觀音寺といふ寺のありければ、鐘の聲をきこしめして作らせ給へる詩ぞかし。

  「都府樓纔看瓦色

   觀音寺只聽鐘聲」。

これは文集白居易、遺愛寺鐘欹枕聽、香爐峰雪撥簾看といふ詩にも、まさ〈り脫歟〉ざまに作らしめ給へりとこそむかしの博士どもの申しけれ。又かの筑紫にて、九月十日菊の花を御覽じけるついでに、まだ京におはしましゝ時、九月の今宵內裏にて菊の宴ありしに、このおとゞ作らしめ給へりける詩を御門かしこく感じたまひて御衣たまはり〈如元〉給へりしを、筑紫にもてくだらしめ給へりければ御覽ずるに、いとゞその折おぼしめしいでゝ、作らせ給ひける。

  「去年今夜侍淸凉

   秋思詩篇獨斷

   恩賜御衣今在

   捧持每日拜餘香」。

この詩いとかしこく人々感じ申されき。この事ども唯ちりぢりなるにもあらず、かの筑紫にて作り集めさせ給へりけるを書きあつめ一卷とせしめ給ひて後集となづけられたり。又折々の歌書きおかせ給へりけるを、おのづから世に散りきこえしなり。世繼が若う侍りし時、この事のせめて哀に悲しく侍りしかば、大學の衆どものなまふがうにはいますかりしを問ひ尋ねかたらひとりて、さるべきゑ袋わりごやうの物調じて、うち具してまかりつゝならひとりて侍りしかど、老のけの甚しきことは皆こそわすれ侍りにけれ。これはたゞすこぶる覺