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る、いというに侍るかし。かやうに、もてけうぜらるゝあまりにふけらかし參らせられけるにこそ。四條の宮の女房、あまたあそびて、暮れぬさきにかへり給ひければ、修理のかみ、

  「都人くるればかへる今よりはふしみの里の名をもたのまじ」

となむよみ給ひける。白河の院、「一におもしろき所は、いづこかある」と問はせ給ひければ「一には石田こそ侍れ」、「次には」と仰せられければ「高陽の院ぞ候ふらむ」と申すに「第三に鳥羽ありなむや」と仰せられければ、「鳥羽殿は君のかくしなさせ給ひたればこそ侍れ。地形眺望など、いとなき所なり。第三には、俊綱が伏見候ふらむ」とぞ申されける。こと人ならばいと申しにくきことなりかし。高陽の院にはあらで、平等院と申す人もあり。伏見には、山みちをつくりて、然るべき折ふしには、たび人をしたてゝ、とほされければ、さる面白きことなかりけり。大僧正まだ若くおはしける時、御母贈二位の、宇治殿に、「僧都の、御房のまだ我が房も持たせ給はで、あひずみにておはしますなるに、房をさたして、たてまつらせ給へかし」と申されければ、泰憲の民部卿、近江守なりけるが、參りたりけるに、「こゝなる小僧の、房を持たざるに、草庵ひとつむすびて、とらせられなむや」と仰せられければ「作り侍らむ、いとやすきことに侍り。泰憲がたちに仕うまつる、石田と申す家こそ、寺も近くて、おはしまさむにも、つれづれなぐさみぬべき所はさぶらへ。堂なども侍りて見よき所なり」と申しければ、殿は「ゆゝしき報ありける小僧かな。それはこよなきことにこそあらめ」とて、すゑたてまつり給へりけるとぞ。泰憲の民部卿は、おほとのゝ中將など申して、いはけなくおは