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この修理のかみの、昔尾張の國に俊綱といひけるひじりにておはしけるを、熱田の社のつかさの、ないがしろなることの有りければ、生まれかはりて、その國の守になりて、かの國に下るまゝに、熱田にまうでゝ、その大宮司とかを、かなしく、せためられなどしければ、「過ちなき者をかくつかまつるよ」と神に申しける夢に、昔すんがうといひて有りしひじりの法施を年ごろえさせざりしかば、いかにもえ答むまじきとぞ見たりける。然ならむために、國の司のしなに生まれたまひけるにこそ。さすが昔の行ひの力に關白の御子にてもおはするなるべし。「われも昔その物をさめたりき」などいひて、鏡とりいださせなどせられける、たゞ人にはおはせざるべし。大殿の伏見へおはしましたりけるも、すゞろなる所へはおはしますまじきに、雪のふりたりけるつとめて、俊綱がいたく伏見ふけらかすに、俄に行きて見むとて、播磨守師信といふ人ばかり御供にて、俄にわたらせ給ひたりければ、思ひもよらぬことにて、門を叩きけれど、むごにあけざりければ、人々いかにと思ひけり。かばかりの雪のあしたに、さらぬ人の家ならむにてだに、かやうの折節などは、その用意あるべきに、いはむや殿の渡り給へるに、かたがた思はずに思へるに、あけたる者に、おそくあけたるよし、かうづ〈かぶつイ〉ありければ「雪を踏み侍らじとて山をめぐりはべる」と申しければ、元よりあけ設け、又とりあへず急ぎあけたらむよりも、ねんに興あるよし人々いひけるとか。修理のかみさわぎいで雪御覽じて、御物語などせさせ給ふほどに、師信「かくわたらせ給ひたるに、いで然るべきあるじなどつかまつれ」と催しければ、俊綱「今贄殿參り侍りなむ」と申しければ「人にも知られ